東日本大震災から三週間。
震災前の数日間、
原因のわからない、ひどい倦怠感と頭痛と息苦しさが続いていた。
前夜か前々夜か、家に一人だったとき。
放心して座り込んでいたら、聞いたことのない耳鳴りに襲われた。
両耳の側で大勢の人がわんわんがなり立てるような耳鳴り。
怖くなって耳を押さえても唾を呑んでも止まらず、走って逃げた。
けれどその後の記憶も無いし、耳鳴りのことも理解できないまま、
とにかく具合が悪かった。
震災が起こった。
頭を、心を、重い鈍器で殴られて粉々にされたような痛み、
そして被災地の今、親族の行方、余震、原発、不安にかられ、ただ祈り続けた。
地震発生から三日後。
入院中の母へ会いに東京へ向かった。
京都には無かった張りつめた空気、余震、停電。
不安で不安で押し潰れそうな中病院に着くと、
そこには使命感を持ち働く人々が居た。
停電やダイヤの乱れから帰宅できない病院関係者も多数居る中、
患者の命が最優先され、誰もがきびきびと仕事をこなしていた。
病院を出たら、いろんなところで仕事を全うしている人達を見た。
何を自分は不安に負けているんだろう、そう思い、恥ずかしくなった。
被災した宮城の親族からは、
何かが復旧するたび、連絡が入った。
遠く暮らす私達を心配させまいと、『大丈夫だから』を繰り返す。
こちらが力づける側なのに、何をしてるんだろうと、情けなくなった。
祈りだけでは前に進めない。
日常を何とかこなしていく内に戻って来た笑顔。
けれど笑った自分を見つめて、後ろめたく思う。
原発に関する拙い思い。
この町を流れる美しい川で、一昨年から『クリーンリバー作戦』が展開されている。
民家が少ない区域では不法投棄が目立ち、
川の生態系を守るために投棄物を撤去しようという試み。
一年目、軽トラ何台分もの投棄物を撤去した。
『なぜ、捨てるのか』怒り、投棄した相手に憎しみさえ覚えた。
それほどの量と内容だった。
二年目、一年目と同等の量の投棄物を撤去した。
泥だらけになりながら撤去を進める内、ふと、
『捨てる人が居るなら、拾う人が居ればいい』と思った。
怒りと憎しみから、解放された。
原発には反対の意志表示をしてきた。
新規建設なんてもってのほか。
けれど、今ある分に何かが起こってしまったら受け止めるしかない。
それが人間の起こした事の顛末ならば、受け入れるしかない。
ヒトという種の首を絞めているのは他ならぬヒト。
偉大な自然はヒトが起こす数々の不祥事にも耐え、存在する。
けれど偉大な自然は許してくれるばかりじゃない。
豊かな自然に囲まれたこの暮らしも、
近距離に立つ原発に問題が起これば儚く崩れてしまう。
けれど営みを続けることに絶望を感じたくはない、とも思う。
だから大地に種を撒き、育てたい、と望む。
東日本大震災、原発事故で被災されたみなさまへ、謹んでお見舞い申し上げます。
流す涙ばかりでは何も出来ないことを学びました。
生かされていることに感謝し、人との繋がりに感謝し、
復興に向けて少しでも力になれることを続けていきます。
弱虫のあかんたれは少しずつ強くなります。
そして、この痛みを忘れないようにずっと体に留めておきます。